[ 生 き も の の 眠 る 町 ]
夜の風だった。
振り向いた先の窓が開いていた。
吹き込んだ風が、僅かに雲雀の髪を揺らした。
そっと窓辺にしのび寄る。
この町の夜は静かだ。
この夜に流れた血など恐らく知らずに、生きものの微睡む気配を湛えた町は雲雀の知る限り常に蕭やかに更けていた。
時折、風が悪戯に吹き込む程度だった。
「それで何の用」
雲雀は窓辺に佇んだまま、廊下の壁にもたれている骸に視線を投げて遣った。
彼がいつの間に、そこにそうしていたのか、雲雀は気付かなかったが、別に興味もないことだった。
骸の答えは聞き飽きたものだった。
「君に逢いに」
「そう」
彼の逢瀬には脈絡が無かった。
雲雀もそれを良しとしていたし、二人には都合がよいことだった。
神経が摩耗している。
雲雀は色の違う光彩の宿った骸の瞳を見据えながら思っていた。
この町の何処かで今夜流れた血を、この男は恐らく知らない。
「君がここへ来て、いつまでも僕に会えると思う?」
骸はゆるりと首を傾けた。
「ねえ、次にここへ来たとき」
好奇心、が強かったと思う。
少しでもたじろぐ気配を見せないものか、という、些かの邪心もあったかもしれない。
「僕に二度と会えなくなっていたらどうする?」
瞬きをひとつしてから、骸は双眸を細める。
「君が死んだら?」
夜からの風が吹いた。
闇色の長髪がさらりと流れる。
考える素振りもなく、答えを返した骸は笑顔だった。
「泣くでしょうね、君の為に」
「嘘だね」
間髪を入れず雲雀は言い捨てた。
独特の笑みでもって骸は肩を震わせる。
「信用無いですねえ僕」
「今更」
夜の町を切り取った窓を背景に立つ雲雀は冷笑を湛えて視線を交わした。
その程度で読み取れるような単純な脳内構造をしていないということはよく分かっている。
「それなら、こういうのはどうでしょう」
謎掛けでも解くように楽しげに、骸は思案する。
「君が死んだら、僕も後を追います」
今夜は月が出ていない。
窓辺の月明かりがあれば、或いは骸の表情ももっと良く見えたのかも知れない。
「君の居ない世界に残る意味など僕には見出せない」
今は逆に廊下の照明のつくる影で、雲雀が目を細めても笑顔の一つ先も見えてこないでいた。
窓の桟から手を外し無言のまま距離を詰める。
不意に、その髪に触れたい衝動からだった。
伸ばされた手を受容し、身じろぐこともしない骸の髪に指を通す。
数度梳いて、そのまま掴んで容赦なく引っ張る。
「…っ」
一瞬ひるんだ隙を見逃さず身体ごと抱き込んだ。
予期できなかった行動におもしろくなさそうな顔をしている骸の耳元に囁く。
「それも嘘だろう」
暴かれた虚言に小さく笑う気配がした。
どうやら大人しく腕に収まる気になったらしい。
この町の夜は静かだ。
心音が、身体ごしに確かに聞こえていた。
そのままで夜の音に耳を澄ます。
自分と同じように血が流れている生きものの身体が、場違いなほどいとおしく感じていた。
「たぶん」
そろりと骸の声が夜におちた。
「…何も、出来ません。僕は何も」
それが先刻の問いの答えであることに、雲雀は暫くしてから気がついた。
嘘、だと、思ったのに口に出さなかったのは、この嘘に本人が気付いている気がしなかったからだった。
非難を込めて強めた腕の力も、違う風に解釈されていそうだ、と、雲雀はそっと息をついた。
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