[ i n t r o ]
夢を覚えていないこと、勿体ないな、と思う。
今朝、目が覚めた瞬間にもう彼のことを考えていたということは、きっと直前まで夢に見ていたに違いない。
マコトは欠伸を零す気分にもなれないまま体を起こした。
外は暗い。
カーテンから漏れる光の少なさと、頭が痛くなりそうに匂い立つ湿気で、雨が降っていることを知る。
今日は貴重な休日だが、すべきことは多い。
欠伸の代わりに短い溜息を吐くと、マコトはベッドを降りた。
手早く身支度を整えて、携帯電話を手にする。
少し逡巡したのち番号をプッシュしてみる。
もやもやとした気分は晴れず、夢に見た筈の男のことが頭から離れようとしなかった。
コール音だけが重なった。
二度目を掛けようとは思わない。
ケータイと財布を手荒にポケットに突っ込み、ジャケットを掴んでマコトは家を出た。
KKが自宅としているアパートはそう遠くない。
バイクで数分の距離を走ると、別段どうということもないアパートの角から2番目の部屋がそうだった。
彼の仕事は変則的で、ここに帰っていることは少ないことをマコトは知っていた。
場所が変わると眠れない神経質な性質の癖に。
しかし変則的な仕事故に、何処で何をしているか見当のつかないマコトには、ここしか訪ねる当てはなかった。
チャイムを鳴らす。
返事はない。
何者かが動く気配も感じられない。
無駄と分かっていながら何度か続けて鳴らしてみた。
何の物音もしないドアだった。
合鍵など持っている筈もないマコトは、どうしようかとさらに逡巡して、強くなった雨の叩き付けるアスファルトを暫く眺めていた。
「……、何してんだ」
KKの問いは尤もだった。
マコトはドアに背を預けてしゃがみ込み、降り頻る雨を見ていた。
「ん、なんか心配になってね」
おかえり、と悪意の無い笑顔で続ける。
見覚えのあるバイクを確認したから予期はしていたものの、実際に対峙すると訳が分からなくなったKKは取り敢えず「ただいま」と呟いた。
マコトは納得したように立ち上がると、服に付いた埃を払って伸びをする。
まさか体が痛くなるほど長時間ここに居続けたのだろうかとふとKKは顔を顰めたが、停めてあったバイクのエンジンが冷え切っていなかったことを思い返す。
それ以上に、マコトはそういう煩わしいことをしない人間だと信用してもいた。
「じゃ、オレ帰るわ」
潔く言って踵を返す。
あまりにあっさりしていたので、言うべき言葉も見付からずただぼんやりとしてしまったKKを、マコトは振り返った。
触れたい、と、衝動的に思うことはあってもそれを実行してしまうような間抜けではない。
あんたが生きていて良かった、と心の中で思うだけにして、悟られぬように前を向き直って欠伸をひとつ零した。
やっと零れた欠伸だった。
「あ」
もう一度、マコトは振り返った。
ツナギのポケットから玄関の鍵を探っていた目線がはっとしたように上がる。
「どうせ眠れてないんだろ、一緒に来る?」
眩しげに眇めた目を伏せるとKKは口角を上げた。
「有難いな」
その言い方に冗談ではない疲労が滲んでいて、ここへ来て正解だった、とマコトは思う。
たぶん、段ボール箱に捨てられた猫を拾うような感覚だ、雨模様もそれなら丁度良い。
飼えもしない癖に、一度拾うと情が涌く、なんてことは、とっくの昔に経験済みだった。
彼が唯一眠れる場所が自分であることを少し誇った。
ひと眠りして目が覚めたKKと、夢の話でもしようか。
一人で笑うマコトを横目に、KKは「気色悪ぃ」と独り言ちた。
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