[ S U M M E R F I S H を 追 っ て ]
今日は真夏日になります、と、天気予報は告げていた。
午前中はやや空を覆っていた雲も、日が高くなるにつれて何処かへふらふらと流れてゆき、午後までには予報通りの、いや、予報以上の真夏日がやってきていた。
アスファルトはどこもかしこもじわりと鈍く日差しを反射し、それを踏みしめる人々は残らずいつもの不機嫌顔でそれぞれの場所へと急いでいた。
もちろんレオも例外ではなく、雑踏の中で斜め前の地面を見詰めながら黙々とただ右の足と左の足を交互に動かすことのみに専念した。
空気が薄くなっているような気がしていた。
うだるような暑さのせいか、密度の高い街の喧噪のせいか、もしくはそのどちらもが作用しているのかもしれない。
薄いTシャツの背中は徐々に汗ばんできて、真夏日の高濃度の空気に溺れそうに息を詰めた。
イヤホーンから流れる気に入りの音楽だけがかろうじて彼が足を進める手助けだった。
レオのやや前方をすいと過ぎていったのがスギだった。
レオは思わず目を見張り、同時に咽喉が彼の名を呼んでいた。
「スギ!」
スギが立ち止まる。
振り向く様子はスローモーションだった。
幾人もの人間が歩みを止めた二人の間を通り抜けていくのが見えた。
* * *
「君もあんがい可愛いとこあるんだね、人酔いなんて」
通り沿いのカフェのテーブル、レオの向かい側の席で、スギはやけににやにやしながら、アイスカフェオレにガムシロップを足してかき混ぜた。
スギの言葉は事実であり、レオは反論せずに苦笑いで向かいの席を見た。
あの人波の渦にのまれてちかちかしていた目にもスギの姿は揺らぐことなく映った。
レオにはそれがすこし不思議だった。
「今日は特別暑いよね、君がフラフラしたとこでそれは仕方ないことだよ」
なぐさめるような声色で彼は言った。
濃いめのカフェオレには僅かにシナモンが香る。
冷房の利いた店の中でも氷は溶け始めていて、程よく冷えたそれはレオをクールオフしていく。
少し安心して呼吸が出来た。
「レオ君、どこかに出かけるところ?それとも帰る途中だった?」
「帰るところ」
朝の早いうちは、今の時期珍しいくらいのすがすがしい空気だった。
いい日になりそうだ、なんて、思ったのも束の間。
ほんの些細な所からみるみる火が付いていったごたごたをこの日の暑さの所為にするほど皆不真面目にはなれなかったのだ。
フル稼働で働いてクタクタな昼下がりには、太陽が余すところなく街を照らし、平面のビルたちと一面に広がるアスファルトは残酷なくらい発熱に貢献していた。
幸い、ガラス一枚隔てた店の中にまでは真夏日の熱量は及ばない。
気温差によって歪んで見える世界は、限りなく透明な水の満ちた水槽の底から見る景色のようだった。
スギのグラスで氷の粒がカランと回った。
「じゃあ僕ん家寄ってきなよ、君に聞いてほしいやつがあるんだ」
きっと気に入るよ、と、スギは自信ありげに目配せしてみせた。
* * *
信号の色が変わる。
心ばかりの横断歩道には人が溢れ出す。
レオはスギのすぐ後ろを歩いていた。
外へ出るとなれば当然外気に晒されるわけで、それだけで溶けだしそうに汗が滲む。
蜃気楼のように景色が揺らめいた。
「ずい分お疲れなんだね」
振り返ったスギが苦笑を浮かべた。
「うーん……」
ここ最近満足な睡眠時間を取っていなかったことを思い返しつつ、曖昧に笑い返す。
マヌケだなあなどと笑いながら、スギは人の波をするりと抜けていく。
イヤホーンから溢れていた音楽を思った。
レオは今イヤホーンをつけてはいなかった。
沢山の人々が前を遮っていた。
だからといって、スギの歩調は変わらない。
涼しい顔をして、一定のリズムですいすい進んでいく。
泳ぐように。
巨大なビルの隙間から底辺まで届いた光がきらきらとしていた。
「とっておきなんだ、レオへの曲だなってすぐにわかった」
足元から溢れる音楽、それはとめどなく打ち寄せる波にも似ていた。
今は容易く呼吸が出来る。
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