[ 三 日 月 と 魔 法 の 言 葉 ]
パチン、と半透明の三日月が落ちた。
「あ、やべ」
レオは読みかけの雑誌から顔を上げた。
「どした?」
「深爪しちゃった」
小さな爪切りを手にしたまま、スギは左足の薬指を撫でる。
生真面目な顔をして丁寧にそのふちに触れ、辿っていく。
そうやってこわごわと輪郭をなぞったかと思えば、今度は乱暴に、切り過ぎた爪の上から傷口を圧迫し始める。
「痛つつつつ……」
本来は残しておくべき爪で保護されていない皮膚と、随分短くなってしまった爪の境目からじんわりと血が滲んだ。
「どれどれ?」
興味本位で覗きこんだレオが顔をしかめて、痛そう、と呟いた。
スギも、うん痛いよ、と呟き返す。
そして何の許可も無く指に触れようとするレオを黙って容認した。
「血出てるよ」
「うん、そうだね」
「痛い?」
「レオが触ると、いたくすぐったい」
小さく呼吸しながら笑う。
空気の濃度が急に濃くなったような気がした。
じんじんと血液の流れているのが皮膚ごしに伝わってくる。
レオは静かに撫でて指を退けた。
神妙な面持ちで言う。
「僕まで痛い気になってくる」
「僕は確かに痛いけど、君ほどには痛い気分じゃないと思うな、たぶん」
ぎゅっとまた、足の指を強く押さえて虐める。
痛そうにするのは、スギではなくレオの方だった。
自分以上に痛がるレオをスギは少々気の毒に思い始めた。
「君も物好きだよね」
見たくなければ、見なけりゃいいのに。
純粋に不思議に思ってそう言うと、レオはちょっとだけ笑った。
「多分スギが痛がらないからその分、僕が痛いって仕組みなんだよね」
「……損だなあ、君」
「まあね」
違う人間の筈のレオにどうしてスギの痛みが伝わるのだろうと、それもさらに不思議なことではあったが、レオが口にすると、ごく自然のなんでもないことのように思えてしまった。
「じゃあさ」
好奇心をちょっとだけトッピングした目のまばたきでスギは問う。
君が痛い思いのときには、僕も痛い思いをするんだろう、
「ね?」 という付加疑問。
つまるところそれは、ほとんどそうだと確信した問いであって、スギの目のまばたきにはそういう自信も少し覗いていた。
レオはにがにがと笑って、スギの方へ首を傾げた。
「どうかな。君けっこう図々しいから」
スギにはどうも腑に落ちない答えで、やわらかく微笑するレオに無性に腹が立った。
スギのいら立ちをレオは金魚掬いかなにかのようにほんの一瞬ですくい上げて、「だってさ、」と急遽、言い訳の説明を追加してくれる。
「君の痛みが僕に移って僕が痛いでしょ?僕の痛いのが君にまで移ったら、結局君が痛いってことになるよ」
レオが口にすると、ごく自然のなんでもないことのように思えて納得するのがいつものパターンだが、スギは丸めこまれてやるのをやめた。
レオの優しさであろう言い訳も、今回に限ってはスギの頬を膨らます空気を追加する結果に終わった。
「不平等だよ」
「そうだね。スギのが得してる」
レオに譲る気はないらしかった。
からりとした笑顔と対称に本格的に機嫌の悪さを現してきたスギに、レオはいたずらを思いついた子供のような目を向けた。
あまり良い予感のしないスギはレオの目の中のスギと目を合わせる。
「これはいつか神に教えてもらった魔法なんだけどさ」
そう言ってレオはうやうやしく、深爪してちょっと格好の悪いスギの足に触れた。
レオが魔法の言葉を唱えると、ちょっとしたいざこざも切り過ぎた爪の痛みも全部どうでもよくなって、レオと一緒にスギは笑った。
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