[ 2 n d t i t l e : 永 久 歪 ]





















ロイ・マスタングは飛び起きた。

というのも、急に今、彼のいるところが内乱中の塹壕の中であるかのように錯覚したからであった。

しかし当然今は内乱中などではなく、まして塹壕の中でもない。

あの忌々しき地獄は随分と前に終わったはずだった。

記憶から逃げることなど永久に叶わないのは知っていた。



と、思うと隣に暖かいものが横たわっていた。

そうはいっても暖かいのは右手と左足を除いた部分のみであってその右手左足は鋼の塊なので非常に硬くて冷たいわけだがマスタングが転がっているのはそれの左側であり、触れているのはマスタングの右手とそれの左手のみであるので体感温度としてはやはり温かいといえた。

エドワードは寝こけたままでひどくうなされていて、あんな夢で飛び起きたのはその所為だ、とマスタングは恨みがましく思った。

彼も相当酷い夢を見ているのだろう。

きっとあの地獄に匹敵するほどの凄まじい夢に違いない。

マスタングは多少冷ややかな気持でそれを眺めていた。

お互い 夢でくらいは幸せな思いがしたいものだ。



幼い人間兵器は数分うなされた後、そのまま大人しく寝つく。

あのうなされ方で目覚めないのも妙な話だとマスタングは一人で可笑しくなった。

こっちは彼の所為で起こされて、もう眠る気もなくなってしまったというのに、当人は素知らぬ顔で一度も起きずに寝息を立てているなんて。

酒にでも頼って眠気を呼び戻そうかと立ち上がったマスタングだったが、窓の外は白々としかけていて気の早い鳥が一羽だけさえずりだしたりしている。

朝が近いのを知って、代わりに冷たい水を飲み干す。

隅々まで染み渡って頭がキンと痛むほどに渇いていたことに驚いた。



明るくなりかけているということは、昨日のおおよそ馬鹿のような土砂降りは単なる通り雨に過ぎなかったのだということだ。

いらん荷物まで預けておいてまったく人騒がせな雨である、とマスタングは思った。

この場合のいらん荷物というのは先ほどやかましくうなされていたのが嘘の様に安らかに眠っている鋼の錬金術師のことだが、彼が原因でこのようにありえないほど早く起きざるを得なかったのだとすればその彼をここに留まらせざるを得なかったのは例の通り雨が原因であるので人騒がせでは済まないほど迷惑な雨であった。



そもそも昨晩、マスタングがこの少年に出会ったのは雨が降るほんの少し前だった。

彼は見るからに足取りも重くふらふらと彷徨っていた。

一見すると亡霊か何かのように見えなくもなかったのだが、そう見えなかったのはひとえに彼の有する金と赤というコントラストが夜目にも強烈だったためである。



先に気が付いたのはマスタングのほうだった。

マスタングは平生よりも軽い調子で、子供がこんな時間に出歩くのは感心できないというようなことを冗談めかして声を掛けた。

エドワードが夜中に外出していたことに少なからず驚いてのことだったが声をかけられたエドワードのほうでも夜中に知人に遭遇するとは思っていなかったらしく、振り向いた表情がひどく驚いていた。

悪戯を見つかった子供のような驚き方というより脱獄を発見された死刑囚のようなあまりにも子供らしからぬ反応であった。

声をかけられて少しほっとしたような心持ちも感じ取れた気がしたのでむしろ自殺志願者だったのかもしれない。

どの道あまり穏やかな反応ではないわけだが、その点でもマスタングは驚いた。



雨が近いので、気分や行動が空回っているのはそのせいである、とエドワードは思っていた。

何かのせいにしなければならないほどに自分が子供であることが悔しかったし悲しかったし滑稽でもあった。

こういう風にぐるぐると渦巻いて、たまたま出会った目の前の男が妙に神々しく見えるのもおそらく湿気のせいだ。



しかしそれを差し引いて冷静に周囲を見ようと心がけたときにエドワードにはマスタングが実際妙であるように見えた。

やけに機嫌がよすぎる、酔っているらしい。

本人曰く大人の事情というものらしいが、大人は信用の置けない生き物であるのは承知しているので大人の事情というのも信用置けないものであるのはまず間違いない。



マスタングはいつもより変に陽気に振舞っていた。

自分が不審であることに自分でも気付いてはいるが自分ではどうしようもない状態なのだろう。
酒を気違い水とはよく言ったものだ。

酔っ払いはふらりと空を仰ぎ見て云った。

 一雨来そうだな。

まともなことも言えたのかと苦笑しつつエドワードはてきとうに相槌を打った。



右腕にぶら下がった鋼の精密機械がずいぶん前からキシキシと煩い。

幼馴染みで腕利きの女技師が作ってくれたそれでも湿気と神経衰弱はどうにもならないらしく、時々どうしようもなく痛くなる。

マスタングはいつものように形ばかりの心配をしてくれたが酒が入っているせいか本当に心配している風に聞こえてらしくもなく焦ってしまい、つい一般的な受け答えをしてしまった。

というかもしかしたらこの男はこのように自分を焦らせるのが目的で酒に酔っている振りでもしているんじゃないかと自惚れるほどの体調および精神不良にエドワードは自分でもほとほと呆れていた。



雨は今はかろうじて降り出してもいないし、このくらいに痛むのはいつものことなのだからどうということはないのだ。

大丈夫だ、と伝えたかったのはマスタングに対してなのだがエドワード自身にも言い聞かせているような言い方になってしまったのはしまったなと思っていた。

どれほど泥酔していても他人の弱みはわかるらしく、性悪な猫のように目を細めたマスタングはにやりとして言った。

もう少し、嘘が巧くなりなさい、鋼の。

それがあまりにムカつく顔だったのでうまく反論も出来なかったことが非常に悔やまれた。



まだ降り出してもいない雨の雨宿りを理由にマスタング大佐のお宅に招かれたのをお断りできなかったのも、奴の態度と迫り来るあの暗雲がすべて悪いのだと、エドワードは無理にでも思い込もうと努めた。

いやな雨が来そうな、いやな雲だ。

たいていこんな日は、おおよそ考えられないほど生身とそうでない所の接合部が痛む。

もっとひどいときは普段そんなに頻繁に見ないはずの母親の悪夢を見たりもする。

魂だけの体ではどちらも味わえない恐怖だ。

エドワードにとってそれを体感出来てしまうことは弟への負い目でもあったし、自らの痛みまで背負い込ませてしまっているんじゃないだろうかなんて傷付かれでもしたらと思うと、それが一番の恐怖なのだった。



こういう嫌な日は逃げるにかぎる。

今回の場合は、逃げ出したついでに雨宿りもできることになるのだからむしろ幸運なのだ。

エドワードは自分にそう言い聞かせた。

でないと、うまく丸め込まれてつれてこられたくやしさばかりが先に立って何もできやしない。



本当に雨の日はいい事がひとつだってありはしない!



大仰に溜息をついてやったらもうじき三十路の大人が見事に転けた。

自分で酔っ払って注意散漫になった上で自分で散らかしておいた本につまづいたのだから自業自得この上ない。

エドワードは一瞬本気で心配したがその一瞬のちに本気で哀れに思った。

せめて笑ってくれとマスタングは若干かなし気に笑った。

外はもう本当にひどいどしゃ降りだった。



雨のせいで気温が少し低かった。

だからといって同じベッドにもぐり込むとはとんだ子供だ。

子供ぶらないように気をつければ気をつけるほどなぜこうも子供じみた行動をとってしまうのかは未だに分からない。

ただ、生身の人間の隣はたしかに暖かかった。

体温のぬくみは本当に久々だった。

それを持たずまた感じることもできない身体にしてしまった唯一の家族のことを考え不意に泣きたくなったが、あああいつが涙すら許されない姿になった原因はエドワード・エルリックという実の兄なのだと思い当たり自身が泣くことも許されざることだとエドワードは耐えていた。



俺は馬鹿だ、とかろうじてエドワードは押し殺した声で唸るように呟いた。

一瞬泣きそうになったのを堪えるためだったが逆に息が苦しくなって弱った。

あまりにも裏目に出たのでエドワードは実際ここまでの馬鹿はいないだろうと思って、先刻よりもはっきりと俺は馬鹿だと繰り返した。

マスタングは寝呆けているのか、でも魚料理は得意じゃないか、と答えた。

驚いて名前を呼んだら、朝が来る前に眠っておかないと奴等が来るぞ、といって寝返りを打った。

完全に寝呆けていた。



まだなにか話し掛けたら面白い答えを返すだろうかと思ったが、本格的に寝息が聞こえてきたのでやめてやることにした。

エドワードは明日の朝起きてこの男が隣にいたら今の会話を教えてやろうと思って、声を殺して笑いながらマスタングの隣で丸くなった。

どうやってからかったら一番腹を立ててくれるかと考えていたらいつの間にか眠っていた。

泣きたかったのもいつの間にか収まっていたと思い込もうとしたが、背を向けて隣で眠る男の体温が思った以上に温いので、あたたかいとおもうなあたたかいとおもうな、と呪文のように繰り返していた。

マスタングはそれを眠気の中で聞きながら、今夜夢を見るとしたら良い夢は見られないだろうと不思議と確信に似たものを感じていた。

外はもう本当にひどいどしゃ降りで、この時点では止む気配はまったく無かった。



外界から隔離されたように雨音に閉ざされた空間で身を寄せ合って違う悪夢を見ているなどとはおかしなことだ。

この雨は永久に止むことなどないのだろうとさえ思っていたというのに、朝には素知らぬ顔で日が照らしぎらぎらと水溜りに反射する光の所為で目さえ痛む。



この世界は不気味に形が捻じれたままそれを知らない振りでこのように晴天が続く。

否、捻じ曲がっているのは世界ではなく例えば彼や自分のような人間のほうか。



マスタングは言った。



「君たちは元に戻れるさ」



眠ったままのエドワードからとうとう返事は返って来なかった。



















13:58 2005/10/02






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副題「雨の日はノーサンキュー」
書きたかったことを詰め込み過ぎたらやっぱりわけわからなくなりました。

えいきゅう-ひずみ【永久歪】
  物体に外力を加えて変形させる場合、外力を除いた後も残る変形。塑性ひずみ。残留ひずみ。(参照:広辞苑 第五版)

はがねのれんきんじゅつしには人並み以上にこだわりを持って取り組む姿勢であります!




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